慶長八年(1603)に徳川家康の側室おまんの方が帰依した高僧日遠上人を開基開山として、創建された。
十五代将軍慶喜は隠居後当寺で暮らすことを予定するなど、幕府の厚い保護を受けてきた。
鳥羽伏見での敗戦で、当寺への隠棲は実現しなかったが、170人ほどが宿泊可能な庫裡が建てられていた。
当時は寺域が広く、七町歩あったが、後の社会変動、第二次世界大戦などを経て大幅に減少した。
また昭和九年の火事で、堂塔を焼失した。
二棟あった蔵にも火が入り、将軍関係などの寺宝をすべて失った。
記録類も失われた。
平成五年、日遠上人第350遠忌の記念として、本堂・客殿・庫裡を新築。